見守りが一番きつかった|介護士経験があっても在宅介護は別だった


見守りが一番きつかった|介護士経験があっても在宅介護は別だった

介護士として現場で働いていた頃、
「見守り」という対応は、比較的楽な関わり方だと思われがちでした。

実際に体を動かす介助に比べると、
何もしていない時間が多く見える。
だから、外から見ると簡単そうに感じられるのかもしれません。

でも現場に立ってみて分かったのは、
見守りは一番神経を使い、一番きつい関わり方だということでした。


手を出せば楽な場面ほど、判断が重くなる

立ち上がろうとした瞬間。
一歩踏み出そうとしたとき。
少しふらついたように見えたとき。

そのたびに頭の中で、
「今、手を出すべきか」
「もう少し待つべきか」
という判断を迫られます。

転倒のリスクは常にあります。
失敗するかもしれない。
怪我をさせてしまうかもしれない。

それでも、すぐに介入しない。
本人が本来持っている力を奪わないために、
あえて手を出さない選択をする。

この判断を何度も繰り返すことが、
体よりも気持ちを消耗させました。


「何もしない」ように見えて、ずっと気を張っている

見守りは、
何もしていないように見えるかもしれません。

でも実際は、
視線を離さず、
物音や動きに神経を向け、
何かあればすぐ動ける距離を保っています。

判断を止める瞬間はなく、
状況は常に更新され続けます。

見守りの時間が長くなるほど、
心の緊張が少しずつ積み重なっていく感覚がありました。


見守ることは、信じることに近い

そんな中で感じるようになったのは、
見守るという行為は
「何もしないこと」ではなく、
相手を信じることに近いということでした。

時間はかかっても、
自分のペースで動こうとする力があること。
それを邪魔しないという選択。

怖さはあります。
それでも、その人の尊厳を守るために
必要な関わり方なのだと思うようになりました。


家族の介護になって、同じつらさを思い出した

家族として介護をするようになってから、
介護士時代に感じていた
あの「見守りのきつさ」を、改めて思い出しました。

仕事としての介護なら、
交代の時間があります。
一度現場を離れ、気持ちを切り替えることもできます。

でも、家族の介護には終わりがありません。

今日が終わっても、
また次の日が来る。

「次は誰かに代わってもらおう」
そう簡単に切り替えることができない現実がありました。


知識があるからこそ、余計に苦しくなった

介護士としての知識があるからこそ、
転倒や誤嚥、体調変化といったリスクが
次々と頭に浮かびました。

もし介護士以外の仕事をしていたら、
ここまで細かいリスクを想像することもなく、
もう少し気持ちを切り離せていたのかもしれません。

わかっているのに、
割り切れない。

その葛藤が、
一番しんどかった部分だったと思います。


今だから思うこと

見守りは、
決して楽な関わり方ではありません。

むしろ、
一番きつく、
一番勇気がいる関わり方かもしれません。

それでも、
相手の力を信じ、
すべてを管理しようとしないことも、
介護の大切な一部なのだと思います。

もし今、
見守ることがつらいと感じている方がいたら、
その感覚はとても自然なものだと伝えたいです。

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